2018年12月12日水曜日

いま。
あした、というか日付かわって本日なK/A/T/O MASSACRE vol.200の選曲終わりました。
10回以上でたひと限定っていう、よくわたしみたいなミキサーすら持ってないニンゲンを10回も呼んでくれたなとありがとうでいっぱいです。
高岡さんが編集したマサカーzineのほうにもいろいろとかいてるんですが、すこし。
隔週から毎週に移行して、海外勢とか、わたしが知ってるひとがけっこうではじめたあたりから、半分強くらいはいってるとおもうんです。f(x)をみたかえりに時間がまだあるなとよったりとかしてた。わたしにとっての遊び場がかわったかんじ。ちょうど、ものがものが、ってなってた時期からもっとやわらかく、ジャンルももっとひろがってっていうそういうわたしのなかでも転換期で、おおよそそのきっかけはマサカーでたくさんのひとのライブやDJをきけたからだとかおもったり。通いはじめたころは、頭が固かったのでデータのDJとかは信じられなかったりとか。ほんとクソみたいなニンゲンだったなとかおもいながら、それぞれのよさを気づかせてくれたし、あのままだったらわたしはいまだにものがものがといって取り残されてたんだとおもう。ものは好きですが、やっぱり。
きっとわたしのまわりのひともおあんじように影響をうけたとおもう。

カトーさんのすごいところっていいはじめるとキリがないくらいにあって、欲があるのかないのか、24時すぎてひとがすっかすかになったあたりが最高潮だし、それをことばとしていってしまうし。
東京でいっとういまの地下なひとたちのライブとDJをみききしてるひと。毎週6、7組みてるし、有名なメディアなんかよりも信じられるとおもうし、そのブッキングに堅さがないし、なにより演者のことをかんがえて、というかそのばにくるひとのことをかんがえてるところ。それもここちよい距離感で。
きょうかいてはったけれど、ひととひとのことだけでなく、ものごとや、音楽だって、細部が大事だけれど、SNSだと、その細部が削ぎ落とされるから、分断されて、それぞれがことばを、意見を発して世界が広がってるはずが、窮屈になってる部分のほうがおっきいなとおもう。あってはなせばたいがいはなせたりする。はなせないひともいるけれど。
フォレスト、そしてマサカーこそが、わたしが好きな海外の地下にあるほんとの意味でのリベラルな空間になってて、ただかっこいいとかだけでない、居心地がよい場所になってて。いまやマサカーが東京へ止まるひとつの理由にすらなってる。

なんかかきだすと、zineの記事のことまでかいてしまいそうで、ダメなので、これくらいで。

とにかく、わたしはマサカーで婚姻届をかいて、カトーさんに保証人になっていただいて、っていうだけでものすごい恩義があって、その200回にでられるのは光栄でしかない。おめでとうございます。


あまり醤油とかたらしまくらないよう、からだに気をつけて、いつかしあわせになってほしいです、よ(しあわせになってしまうとマサカーやめてしまいそうでこわいので、すぐにはならないでほしいとかおもってる。ひどい)

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